日本語では、一つ一つの論理を積み上げていかなくてもまったくおかしくありません。
ある本音なり一番言いたいことを初めから言うのではなく、むしろ「まくら」と言うか一見関係のないことを述べ、回り道をした上で突然ポーンと言いたいことが出てきたりします。朝日新聞の天声人語などもそのいい例です。
しかし、英語である事柄を述べる時は、最初から最後まで一本の太い線がきちっと通っていなくてはなりません。別の言い方をすれば、あることを述べるためにはその前提となる条件なり状況説明が必要ですし、途中でわき道にそれてまた本道に戻るというようなことは、英語ではしないほうがよいのです。米国の大学・大学院で勉強された方なら実感なさっているはずです。
米国在住の作家、ハロラン芙美子さんは、日経新聞1992年3月1日号に「アメリカに留学して最大の苦労は英文で論文を書くことであった」と書かれています。そして、大学院女子寮でルームメイトにこのようなことを言われたそうです。
「アメリカ英語は、寄り道をしない、一直線の言葉であるということ。始めがあれば終わりがある。そこにたどりつくまでの論旨が破綻しないことが大事」 そして「私が苦しんだのは、自分では破綻のない論旨だと思っているのに、なぜ彼女はそう読めないのかということだった」が、あとで「日本語での発想、表現をそのまま英語に直訳していたから、アメリカ人が読んで不自然だったのだ」と納得されたそうです。
ここでは、この日本語と英語のものの考え方の違いをお見せします。
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